プラモデルを作るということ【後編】当時のガンプラもたくさん作った。 現在の様な道具は持っていなかったので、ニッパーは爪切りを代用した。 塗料は全てタミヤのエナメル塗料。ラッカー系も売ってはいたが使わなかった。 当然の様に筆塗り。エアブラシの存在は知らなかった。 初めて作ったバイクプラモは、タミヤのHAWK2だったと思う。 とても作りやすくて、サクサク出来上がったと記憶している。 ブレーキホースやワイヤー類をビニールチューブで再現しているのがとても新鮮だった。 次のバイクプラモはBMW。ボクサーツインエンジンのモデルだった。 これがひどかった。ハメ合わせが全くと言っていいほど合わなかった。 未完成で放置していたと思う。 それからも、色々なプラモを買っては作り、部屋には作品が溢れていた。 ただ、改造は全くしていなく、すべてストレート組みだった。 高校生になると、部活やらバイク(本物)やらで忙しくなり、 プラモ製作は徐々に減っていった。 高校を出て専門学校に進んだワタシは、県外で独り暮らしを始めた。 学校へはほとんど行かず、バイトとオートバイに明け暮れた。 プラモデル作りはした。1/6スケールのバイクプラモを2台作り、 部屋に飾っていた。 専門学校を出て就職した途端、プラモデルは作らなくなった。 今思えば、気持ちの余裕がなかったのだろう。 休日は暇さえあればオートバイをいじっていた。 プラモデル作りの復活は、それから12年後、 結婚して一年くらい経った頃だった。 小学校時代に通っていた模型店が移転したと聞き、 新しいお店に行って、妻に道具と合わせて買ってもらった。 そこからイッキにプラモ熱が再燃した。 たまたま入った家電量販店にプラモコーナーがあった時にはさすがに驚いた。 昔じゃ考えられなかったからだ。時代が変わったということなのだろう。 プラモはドンドン増えていった。すっかりプラモデルの沼にどっぷりとハマっている。 マイホームには作業場も作り、エアブラシも揃えた。 棚には手つかずのプラモデルがうず高く積まれている。 完成品をネットオークションで売ったりもしている。 最近は老眼が進んだせいで、細かいパーツがよく見えないのが、少々悩みである。 |